生きる事に不器用な人たち
生きる事に不器用な人たち

生きる事に不器用な人たち





以前の私はとにかく

自信もなく自己肯定感は低いし

自分は価値のない人間だと思い

嫌われたくないという思いも

強くありました


こんな自分は意見を言う資格もなく

嫌われないためにも

周りの意見に従う事だと

いつも人の顔色ばかり見て

周りに気を使っていました


人の意見を優先する事がクセになり

誰かがいると

自分の意見がなくなり

友人とランチに行くのでさえ

何か食べたい?

と聞かれても

友人が食べたい物で良いと思い

自分が何が食べたいのかも

本当に分からなくなるんです


1人でいる時がホッと

出来る時間でした


自分には価値がないと

思い込んでしまったり

嫌われたくないと

人の顔色ばかり見てしまう原因は

私が小さい頃の影響で

それを大人になっても

ずっと引きずっていたから

生きづらかったのだと分かりました


生きる事に不器用な人たちの

生きづらいと感じる原因は


小さい頃に受けた

心の傷ではないかと思います


心のバランスを崩し

日常生活をする上で歪みとして現れ

大人になっても

どこかに影響が出て来る・・・


歪みとして現れる影響は

極端な偏った考え方になる事かなと

思っています



小さい頃に受けた心の傷が

どのような事かによっても

どこに偏った考え方が出てしまうのかは

違ってくると思うのですが


人間関係に偏りが出る場合は

おそらくですが

人を信用しずらく

人と関わらないようにしたり

自分の事を理解出来ない人とは

関わらないとか

自分を理解してくれそうな人を

見つけるとその人に執着してしまうとか

1人になるのが怖く

常に誰かがいないと不安になったり

誰からも愛されないと虚無感があったり

私のように

嫌われたくないと思う気持ちが

意見が言えないなど

人と関わらないようにするか

人と関わらず1人では

不安になってしまうような

極端な所がある場合は

もしかしたら

子供の頃に受けた心の傷が

原因かもしれません





子供の頃に受けた心の傷は

意外と厄介です


人間関係だけではなく

色々な所に悪影響が出てしまいます


心の傷を

手放せないでいては

心に重さを感じたまま

生きづらいと感じる事も多く

心が軽いと感じる事が

分からないままの方もいるのかなと

思います


心が軽いとはこういう事なんだと

初めて分かったのが

ブログを書くようになった

私が45歳の時でした


心の重さとなっていた事からの

気づきをブログに書きながら

手放して来たのですが

1度では手放せなかったり

繰り返していくうちにコツを掴み


心の重さの手放し

上手になれたかなと思います(^^ゞ


小さい頃からずっとどこか

心の重さを感じて生活してきましたが

心が軽いと感じる事が出来て

本当の私って

こういう感覚なんだなと

やっと自分らしくいる事が

出来るようになったと思います


とは言っても

心は軽くなっても私にはまだ

手放さなくていけない事があり

やった方がいい事ややってみたい事も

色々見つかったけれど

まだ全然出来ていない・・・

アラフィフになり心が軽くなったと

やっと感じる事が出来た私ですが

それまでの人生が

辛くムダに過ごした期間だと思うのか

と言ったらそうでもなく・・・


心が軽くなるまでは

正直

自分が生きている意味さえ分からず

なんで生まれて来たんだろうとか

自分より若くして

亡くなってしまう人のニュースを見ては

なぜ私が選ばれないのだろうかと

考えたり

超ダークっぷりでした


心が軽くなると

生きる事に不器用だったなぁと

過去の心を病んでいた自分も可愛く思え

自分の人生はムダな期間ばかりで

つまらないとは

思わなくなり

今までの辛かった人生の分を

取り返そうと思う気持ちもなく

なぜか感謝の気持ちの方が増えました


今まで幸せだと感じた事もない

ほんの些細な事に幸せだと

感じられるようになった事も

不思議です



生きづらいと感じ

生きる事に不器用な人たちが

意外と多くいらっしゃるのではないかと

思うのですが

心を重くしている原因を

少しずつでも

手放していく事が大事です


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